人間パーティー

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人間パーティー

さあはじめよう、人間の人間による人間のための人間パーティを。

小山田圭吾/Cornelius Fantasma Pitchfork和訳

 

90年代中期の古いサウンドをこよなく愛するもののサブジャンル、渋谷系シーンの中、CorneliusのFantasmaは高得点を叩き出した。

 

 

 

 

 90年代中期まで、日本のポップカルチャーは世界中で一世を風靡した。アニメ、ゲームは子供達を魅了し、作家村上春樹が英文学界を牽引し始めていた。そして、ポケモンほどの人気はなかっただろうが、渋谷系がヨーロッパのリスナーを魅了しつつあった。20世紀全体の音楽のサンプリングの寄せ集めたようなジャンルが海外のレコード会社の耳に止まり、60年代風のサウンドのpizzicato fiveやラウンジトロニカのFantastic Plastic Machineが世界中にCDをリリースした。だが小山田圭吾ことコーネリアスがMatador Recordから日本での発売の1年後を経て、アメリカでアルバムFantasmaをリリースした時ほど重大な注目を集めたものはいない。それからすぐに渋谷系ムーブメントは飽和状態となり、その名は新しいサウンドに移り変わった。

 

 

 Fantasmaは高得点をマークし、渋谷系ムーブメントの金字塔となっている。日本の音楽メディアは"オールタイム"などと銘打って、ランク付けすることあまりを好まないが、ことの成り行きで、コーネリアスのこの3枚目のアルバムはチャートトップ10にいつも入っていた。Fantasmaは90年代の東京の以外では絶対に存在することはできないシーンで熱心につくりあげた音楽的遺物という印象を受ける。事情があってアルバムには入れることが出来なかったにも関わらず、4つのボーナストラックが新たに追加されたポーランドのLefes recordの印が入ったレコード盤の再発。それはこのアルバムの曲の特別さは色あせていないことを思い出させた。『Endtroducing...』や『Discovery』のようにファンタズマは新しく、エキサイティングな物を創り出すため、過去のサウンドを用いた。音楽を聴く事、生み出すこと発見することの過程の楽しさをこのアルバムに集約させたのだ。

 

 

 渋谷系を構成したのは1人の人物であり、その男がこのように見事な音楽の表現方法をしたというのは納得である。日本の経済的バブルの時期に成人であった小山田はバンドで演奏したり、品揃えの良いレコードショップを探索して過ごした。並んでフリッパーズギターの一員であった小沢健二は、選別された全ての物からインスピレーションを受け、曲を作った。それは、スコティッシュポストバンドであるOrange Juiceであったり、マッドチェスターであったり、ボサノバ、モンキーズの映画Head(Monkees 「Head」(1968) : 音楽の杜であったりする。大胆にパクったメロディであったが、たくさんの新しいサウンドを日本の音楽にぶち込んだのだ。

 

 

 また、フリッパーズギターはピチカートファイブや他のグループではなじみのないスタイルで登場した。フリッパーズギターのCDは渋谷の音楽店でとんでもない勢いで売れ、アルバムチャートにランクインしたのだ。メディアはこのトレンドを嗅ぎ取り、渋谷系(文字通り渋谷スタイル)と呼んだ。そのようにして、この2人組のアーティストは世間に出てきた。特定のサウンドに捕らわれず、W.David Marxが定義付けた「良いところを真似し、自分たちの色をつける」という精神を日本の主流J-Popに浸透させた。小山田はカヒミ・カリィやカジヒデキなどが所属したトラットリアというレーベルを立ち上げ、また、Corneliusとしてのキャリアをスタートさせた。2枚のアルバムは、彼がシンガーソングライターかつ音楽の専門家であると世間に知らしめた。彼は渋谷系っぽいのヘアーワックスのCMに出たこともあった。(資生堂 UNO レコード店編 小山田圭吾 15" 1992 - YouTube)

 

 

 ファンタズマは何か型破りなものである。コーネリアスは以前の2枚のアルバムでは明るいファンファーレのような曲調(Cornelius - The Sun Is My Enemy - YouTube)であったが、"Mic Check"はかすかなカチッという音とともに始まり、無音が続く。誰かがタバコをくわえ、カンを開け、ベートーベンの交響曲5番の一部分の口笛を吹く。初期の頃に発売されたファンタズマにはイヤフォンが付いてきた。その理由は1曲目に"Mic Check"というので即座に理解できた。これはプロデューサのアルバムであり、この偉大な旅では1つ1つの音があちこちに動き回り、役割があるのだ。小山田はこのアルバムを聴くうえである程度リスナーに準備してほしいのだ。聞こえますか聞こえますかと彼は日本語で尋ねる。だから、本格的に曲が始まる前にリスナーはいかなる細部も聞き逃さないのだ。

 

 

 そこから、ぞくぞくするような数々の音楽をリスナーに提供する。彼の音楽はヘッドフォンを縦横無尽に駆け巡る。目がくらむような"Count Five or Six"のSpeak & Spell ロックは小山田のテクニックを確証するものであり、聴くごとに彼のアイデアがアルバムにいたるところに散りばめられていることに気づかされる。レコードのB面の"Chapter 8(Seashore and Horizon)"はApple in StereoのRobert SchneiderとHilarieによって非常にApple in Stereo的な曲調で歌いだされる。しかし、1分がたつ前に何者かがカセットプレイヤーのストップボタンを押し、小山田の甘いインディーポップの演奏へとジャンプする。Elephant 6がいかにも好きそうなナンバーである。それから、またカセットプレイヤーがクリックされ、テープが巻き戻されApple in Stereoが歌い始める。

 

 

 「ファンタズマは1つの入り口と1つの出口しかないようなアルバムである。つまり、このアルバムは全ての曲が繋がっていて、途中から聴いてはいけないのだ。」と小山田はアルバムリリースの前後に雑誌で語った。渋谷系の全貌を定義付けたように、多くの世間に知られていない古い音楽のオマージュを張り合わせ、詰め込んだスタイルは1997年当時、画期的であった。このアルバムで重要なナンバーである"Star Fruits Surf Rider"のトロピカリアな曲調にドラムンベースの融合や"Monkey"はR&B(MONKEY - J. C. DAVIS - YouTube)とふざけて騒々しい感じを生み出すためにMr.Mangoo(近眼のマグー - Wikipedia)の古いレコードを元ネタで使った。これこそ、いかにもステレオタイプの渋谷系サウンドである。だが、小山田は単純なレコード収集家ではない。そのようなサンプリングは緻密に計算され、アルバムを通して頻繁に現れる。海外のレビューはアルバム発売当時、コーネリアスを「やりすぎじゃないか。」と言ったが、小山田はこのノイズの嵐の中で正確に何をしているのかを知っていたのだ。より凝縮、密接な音を作るために、全ての音はあるべきところに集約されているのだ。

 

 

 ファンタズマは元ネタの発見と音楽に恋する喜びを祝うように、全ての音がフィットしている。渋谷系はcrate-digging(レコードを漁ること)を元に成り立っているが、しばしば単純な曲調になりがちなのだ。(もしくは最悪の場合、古いレコードを使っているというだけで気取ったり)。ファンタズマを聴く者だけが、実際の"音楽を聴く"という行動が出来る。このアルバムの半数の歌詞をめちゃくちゃだが、言葉が通り過ぎるとき、"Clash"ではまるでコンサートにいるかのような気持ちにさせ、"New Music Machine"ではヘッドフォンを介して、世界から遮断されたような気持ちにさせる。突然スタイルを変化させ、きらきら光る子供時代の思い出のような"The Micro Disneycal World Tour ”。"New Music Machine"はのた打ち回る思春期のようである。

 

 

 Fanstasmaのほぼ全ての曲はマイナーであったり、世界的に有名であったりするが実在のアーティストの名前が用いられている。だがこれは、ただ単に名前を引用するのではなく栄誉あることのような気がする。フリッパーズギターの時はthe Beach Boysの"God Only Knows"をマジでごっそりサンプリングしている。(Flipper's Guitar - ドルフィン・ソング - YouTube)しかし、しかしトラックの7分間強にBrian Willson(その他に小山田のフェイバリットthe Jesus And Mary Chain)にインスパイアされた複雑なポップに"God Only Knows"を自力で織り込んだ。最後から2曲目の"Thank you For the Music"で彼は、意思を明らかにする。音楽界のヒーローたちと並んで、Fantasmaをここまで聴いてくれたリスナーに評して。そして、のっけから気取らないバッキングトラックはこれまでアルバムで50分間、聴いたサウンドの瞬間を思い出させる。

 

 

2016年では渋谷系はすっかり時代遅れな音楽ジャンルとなったが、この音楽が失敗ということではない。このスタイルの魅力はアーティスト自身が専門家として忘れられた昔のサウンドをオーディエンスに与えることができることである。だがインターネットが完全に専門家という概念を変えてしまったWikipediaを読み漁って誰もがニッチな専門家になれるのだ。古いサウンドを見つけるという考え方は、"風呂に入ってる間に最高なサウンドのプレイリストを作っておいて"という言葉に取って代わってしまった。ディジタルリアリティな現代を賞賛するとはいわないが、私はFantasmaをSoulseekで2005年にダウンロードした。渋谷の近くの町に実際に行くよりも、強力に浸透したYouTubeで渋谷系を見つける方が楽なのだ。

 

 

しかし、Fantasmaは渋谷系の純粋な本質と温かいサウンドに至るまでのプロセスと魂というものを抽出した。彼は音楽ジャンルが消え、国境が消える音楽のユートピアを想像しながらこのアルバムを作ったのだろう。(2016年現在、日本は違法ダウンロードの取り締まりが厳しいため日本のアーティストは独自の色(印象III : なんとなく、パブロ - I still love K.A.N.Y.E. - YouTube)を持ったアルバムを作っている。)90年代、コーネリアスはBeckのようなクールなサウンドに目をつけた。だが、Fantasmaで純粋な遊び心と興奮が駆け抜けるような感覚は今日でも爽快である。